あの日たち
「あの日」と名付けて曖昧にはぐらかしている日。
誕生日や記念日みたいに、分かりやすい名前がついた日という訳ではなく、特別な思い出になるような日という訳でもない。
何気なく夕空を見上げた時のことや、バスに揺られて窓から街や人を見た時のような些細なことだったかもしれないし、どうにもならない悲しみがあることを知った日や、それでも前を向かなければならない残酷さを憶えた時のような言葉にできない日だったかもしれない。その一つひとつに「名前」はないけど、意外にも「あの日」のことを僕らは思い出すもので。
僕にとって映像を残そうとすることは、そんな「あの日たち」を残すことでした。
夢がたくさんあった。数え切れないほどの夢を抱えていた。そのうち、すっかり大人になって幼少期に描いていた将来を今生きている。ただのひとつも叶わなかったと想っていたけれど、これまでの道のりを手繰れば、こんなにも恵まれて愛されて許されていたのだと思い知る。ひとりでは抱きごたえのなかった思い出も、誰かが注いだ温もりでこんなにも満たされる。何一つ差し出してはあげられなかったのに。
目の当たりにしてきたものは、どれだけ月日の流れにさらされてもその面影を静かに胸の内に宿らせ僅かにも色褪せることがない。無邪気でわがままだった頃も、愛されるたまらなさを知った日も、誰かを傷付けてしまった瞬間も。そのひとつひとつを解いて想いを寄せて、そしてまた、さよならを継ぐ。長い手紙を書くように、訪れる日々に想いを託していく。